これから
だいぶ時間が空いてしまいました。やはり前期も後期も落ちました。もしかしたら…と思い日々過ごしていましたが、そんな甘いことは決してないですね。後期なんか特にセンターのみで決まるような試験です。ただ、受けた大学が思ったよりも良い場所だった、まあなんとなくの雰囲気ですが…しかし新しい土地、に抵抗があるので、そう感じられたことは良かったです。。
なんというか、何回落ちても、悔しいという思いよりも惨めだ悲しい、という思いが強くて、内に内にと感情が引きこもってしまいます。しばらく無気力で、無理やり動かさないといけない感じでした。自分の悪いところだと分かっています。悔しさをバネに、とかいう、失敗という経験を前向きなエネルギーに変換できない。だから、いつまでたっても変わらないのかなあと、少しへこみます。それでもなんとか、好きなことで自分を釣って、ようやく整理して書いてまとめられるまで立て直してます
話は変わりますが、働きだしてから高校時代の友達と会うようになっています。今まで極力避けていました。何してるの?に続く、大丈夫?という言葉が怖かったからです。引きこもりやニートの人って、それぞれ事情は異なると思いますが、私は助けてほしい気持ちが大きかったけど口にできなかったので、人に心配されることが一番辛かった。
そしてその友達と会って子供と遊んだり、内容色々、学校に通わなかった昔の話も交えつつ、これからの話、未だに家族とうまくいかないこと、社会との感覚のズレ、頭で解っていてもコントロールできない心、話し込んでるうちに、お互い、どうも自尊心が欠けているという結論に至りました。
そのせいばかりにはしませんが、私はそれが自分の、失敗や嫌なことの対処に少なからず反映されているような気がします。例えば、理不尽に虐げられたり、自分の好みを強制されたとき、自分が我慢すれば収まることを知ると、本当は嫌なのに嫌だと言わず自分の中だけで負の感情を処理します。反発しようにも受け止めてもらえる場所がなく、こういったやり方を繰り返すうちに、外にエネルギーを出す機会を逃し、その、なにくそ!とかいう経験を積めなかったので、今こうして癖として、考え過ぎて落ち込んでしまうことが多く、切り替えが苦手なのかなと思います。あくまで推測ですが
その自尊心が幼少期に培えなかったぶん、私みたいな人間はそれを自分で育てなければなりません。時間はかかりますが、長生きするならやらねばならないことです。実はその友達の子供に会えたことが私を少し前向きな気持ちにさせました。いま生きている私の世代もあるけど次の世代も確実に存在するのだと実感したからです。そしてそのことが悲しいのではなく、喜ばしいなと感じたのです。うまく言葉で言い表せませんが。時代を引き継ごうとか大袈裟なことは考えていませんが、時代は進んでいきます、そしたら悩んでばかりいられない。その子の成長も見たい、長生きしたいです。そのために、自分の好きなことやりたいことが何かを知り、自分の場所を見つけて生活すること、これに向けて計画をたて努力しなくてはなりません。
…ただ私は計画が不安定なのが否めないです。努力ももちろん足りない、しかし計画はお金で買えるので、今年度は東進かスタディサプリのような通信授業をとろうかと検討しています。夜間予備校も考えましたが、そこまでの金と時間はない…。思えば誰かに勉強を教えてもらうことを、20代になってからやってません。あまり投資できませんが、何か少しスタイルを変えようと思います。そして社会人入試の準備もしなければならない…かもしれません、今までやってきたのと全く違う分野なのでできれば避けたいけども
もうすぐ一年で一番忙しい4月がきます。去年自分ははどうやって乗り越えたのだろうと不思議に思います
勉強面、少々不真面目になりますが、続けることを続けます。記述は合格ラインに乗ってるのにセンターができないので、とにかく基礎の体得、慣れ、模試で結果をだして自信をつけます。
5月、夏、秋、センタープレ、A判定3回出すのが目標です。ちなみに去年は1回しか出してません。まずは5月、母集団の実力が不安定なのでここでの高得点は当てにはできませんが、それでも上位に入りましょう。数学と、サボりがちだった文系科目に力をいれます。1日4時間しか捻出できないので、やるべきことを決めます、それを日曜に更新します。今週は通読と計算を軽く一周します。
さいご雑になりましたが、また1年間生き延びます、よろしくおねがいします、では。
計算
通読